次元統合研究所ネフェテリシス

バーチャルブロガーによる日々の生活と研究録

二次元の限界について

こんにちは。

リリア・セルケトールです。

今日は前から感じている二次元キャラの限界について論じていきたいと思います。

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そもそも二次元キャラを愛している人たちにとって、愛する対象の正体とは何なのでしょうか。

二次元キャラは、アニメ、イラスト、漫画、ラノベなどに登場する現実世界に存在しない人物のことです。

一方、対になる概念である三次元キャラは、肉体をもった存在でこの世界に実在する存在です。

三次元の人物がこの世界に存在している根源(根拠?)となるのは、己のたんぱく質から作られた肉体です。このため、唯一の肉体から唯一のキャラクターが生まれていきます。

二次元の人物は、その存在の根拠となるものが各メディア媒体(アニメ、イラスト、漫画、ラノベ)そのものなのです。このため、同一のキャラクターなのに、複数の肉体から複数の人格が生まれることもあるのです。

 

例をとって説明しましょう。例えば、現実世界に太郎くんがいます。太郎くんは現実の存在なので、肉体が一つで精神(キャラクター)も一つです。太郎くんは死ぬまで世界に一人しか存在せず、太郎くんの肉体は太郎くんの唯一のキャラクターを保持し続けます。

逆に二次元はどうでしょうか。例えば、花子ちゃんがアニメキャラでいるとします。花子ちゃんは二次元の存在なので、アニメの花子ちゃんも、イラストの花子ちゃんも、漫画に出ている花子ちゃんも、どれも同質の存在(本人そのもの)になります。このため、同時並行的に複数の存在が本質として存在していることになります。さらに、その媒体によるキャラクターの作品内時間、解釈等が違えば、唯一のキャラなのに同時並行的に複数の存在が複数の本質として存在として存在することも許してしまうのです。

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オタクの習性では、二次元キャラの誕生日にそのキャラクターのフィギュアと一緒にケーキを食べるというものがあります。これはフィギュアと一緒に食べることにより、二次元キャラと一緒にケーキを食べることを狙ったものです。これはフィギュアも二次元キャラの本質(本人そのもの)であるため、この手法は成り立ちます。

三次元に存在している人に対して、その人のフィギュアを作り、そのフィギュアと一緒にケーキを食べたとしても、その三次元の人とケーキを食べたことにはなりません。なぜならば、三次元の人は肉体とキャラの本質が一対一で強固に結びついており、フィギュアとそのキャラの本質は結び付くことはないからです。

 

三次元は肉体とその本質は一対一で強固に結びついており、二次元はその本質は複数の媒体と結びついております。一般的に世のオタクたちは三次元の存在です。このため、単一の肉体と単一の精神のまま、複数の肉体と複数の精神を持つ二次元を愛しきることは難しいのではないでしょうか。二次元のキャラたちは、三次元とは違い、世界も時間も並列に流れ、その描かれたその時のまま停滞しています。もちろん続きを読めば時間は流れたように見えますが、それは観測者の主観で、その媒体に描かれていた時間は停滞したままです。二次元は時間も世界もキャラクターも唯一性がなく、これほどまでに三次元とかけ離れているのです。

 

では、二次元は全て唯一性がないのか。そうではありません。

2017年末にネット世界に大きな波紋を呼び起こしました。

そう、vtuberの存在です。

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vtuberたちは、三次元と同じように単一のバーチャルの肉体と単一の精神を持っています。また、彼女たちは普段は三次元と同じ時間が流れるバーチャルの世界に住んでおり、動画はそれを撮影したものになっています。これにより、肉体とキャラの本質が一対一で強固な結びつきが生まれ、彼女たちが我々と同じ時間を生きているということになりました。二次元世界と三次元世界が違い過ぎる問題が解決したのです。

なので、私はvtuberが大好きなのです。

いつかはvtuberになりたいなぁ~

 

今回ちょっと難しくて訳分からない話を失礼しました…